ダークエンジェル本間 vol.2

路地裏スタジオの皆様、お元気でしょうか?

皆様がちょっとやそっとの事では引かない広い度量をお持ちと期待して、こちらの過去投稿をシェアさせて頂きます。

現在、毎週日曜日の15:00~16:30のレッスンを担当させて頂いてます。(第3日曜日は除く)

※12月より水曜日と金曜日もクラス追加してます!!

今後ともよろしくお願い致します。

【反時代的考察(2020.11.16投稿)】

今からもう10年ほど昔になりますが、鏡に映るボクサーパンツ姿の自分を見て、どこかから「貧弱貧弱ゥ〜〜!!」というDIO様のお声を聞いた気がしました。

 

か細い自分の体型もさる事ながら、何か下着が決定的に似合っていないような気がしたのです。

 

そんな違和感は、ネットで購入したふんどしを着用して一気に解消されました。

 

ふんどし姿でJOJO立ち。

 

「ズッキュウゥーーン!!」という効果音でも聞こえてきそうな、完全に調和した世界。

 

時の歯車がガッシリと我がスタンドと噛み合った気がしました。

 

そこから私のふんどし生活が始まりました。

 

美しい。

 

私は今輝いている。

 

一見すると去勢された犬っころのように組織に忠誠を誓わされたしがない会社員の制服の下で、日本男児の象徴ともいえるアンティークパンツで“男性“そのものを包む秘めたる反骨精神を、“美“といわずして何と言い表しましょう。

 

野蛮な西洋列強と迫りくる“近代“に抗い、大陸の“鬼“を滅さんと刀を抜いた我らが祖先。

 

「かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂」という歌に表された彼らの気高き精神性は、圧倒的な物量の前に一度は刀を挫かれながらも面従腹背の腹の内で研ぎ続けた反撃の刃を収める簡素な鞘のように、この薄い布切れによって包まれているのです。

 

日本男児たるもの、黙ってふんどしを履くべきなのです。

 

さて、時を移して平成の末期、100年にも及ぶジョースター家の血統が脈々と受け継がれるように、我らが少年ジャンプにも時代の精神を体現する新たな名作が産声を上げました。

 

日本が“近代“と“伝統“の間で激しく揺れ動く大正時代、貧しい農村で慎ましく暮らす少年一家を襲う突然の悲劇。

 

「圧倒的な暴力」「徹底した功利主義」「解放された獣性と強烈なエロティシズム」といった、野蛮な西洋列強の精神性を体現した“鬼“と呼ばれる存在に一家は惨殺、唯一生き残った妹はその元凶である“近代“という病にすっかり犯された様子。

 

そんな野蛮な“近代”の虜となってしまった妹の心を取り戻すべく、鬼狩りとなった少年。

 

「雪で滑ったけど雪によって助けられた」というニュアンスのセリフに表されているように、家族を奪われた恨みから復讐に狂うのではなく、激闘の果てに憎むべき敵である鬼にさえ憐みの目を向ける少年の繊細さは、かつての日本人の精神性を跡形もなく破壊し尽くした“近代“への憎しみに折り合いをつけて新たな価値観を模索する現代のムードにも符合します。

 

“鬼“にならなければ生き残れない飽食サバイバル国家の現代ニッポンで、“鬼“にならずしてささやかな幸せを取り戻さんとする少年の葛藤と、“鬼“とならざるを得なかった時代の被害者ともいえる異形の者たちへの憐憫、その他様々な技術的・偶発的な要素が奇跡ともいえるタイミングで相まって、この名作は生まれたのだと思います。

 

そんな現代ニッポンのムードを体現した『鬼滅の刃』ですが、かつての日本人の精神性を密かに体現していた我がふんどし生活は、わずか2ヶ月で頓挫しました。

 

理由は明白、洋装が主流となった現代の服飾文化に、ふんどしという下着は全く相容れなかったからです。

 

あれはTシャツにデニムという装いで電車に揺られ、網棚の荷物を取ろうと両腕を上げた時の事です。

 

窓に映ずる、腰骨に結えられたふんどしの紐。

 

それを目にした時に、決定的な不調和を感じました。

 

やはりふんどしには和装が、時の歯車とDIO様のザ・ワールドのようにガッシリと噛み合います。

 

パニックを発症して気づきましたが、体調が悪くなるのは決まって締め付けの強いものか、その日の天候に合わない衣服を纏っている時がほとんどなようです。

 

そしてそれが起こる場所は、“近代“の所産である“夢限列車“ならぬ電車の中。

 

食養の世界では、その土地の季節に自然にとれるものが、そこに住む者にとって最も適しているとする「身土不二」という考え方がありますが、おそらくそれは衣服や住居といったライフスタイル全てに言える事でしょう。

 

本来、私たちには私たちに相応しい暮らし方がある筈なのです。

 

それを全世界を画一的に捉えようとする近代主義であれこれ操作を加えようとするから、そこに不調和が生じてパニックを起こすのです。

 

そうした次第で、私がこの地で快適に過ごすためには、ふんどしと和装が必要なようです。

 

が、骨の髄まで“近代“に犯されて“鬼“の巣窟と化した現代ニッポンで、平素から和装で過ごして不調和が生じないのは羽生善治と川端康成くらいでしょう。

 

今から将棋で竜王を目指すのは流石に骨が折れるので、小生は川端枠を狙いたいと思います。

 

長々と語ってきましたが、今日は私が小説家を志したきっかけについてお話ししてきました。

 

一時的にふんどしと距離を置こうとも、腹の中では虎視淡々と反撃の刃を研ぎ続けておりますので、どうかご安心を。

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